「責任は負いません」
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ドイツにまた寒い季節がやってきた。どこへいくにも分厚いオーバー、手袋、帽子などが欠かせない。そして、 この季節になるとレストランやカフェのオーバーかけが山のように盛り上がり、出る時に他人のオーバー類を何枚 もめくって自分のをさがすので汗だく、たいへんな思いをする。さて、そうしたオーバーかけのところに必ずとい っていいほど貼ってあるのが”Keine Haftung”、つまり「責任は負いません」とかいた札だ。きっと自分のとまち がえて別な人のオーバーを着て帰ったり、あるいは盗難にあったりということが多いためだろう。店はいちいちそ んなことに責任はもてませんよ、というわけである。気をつけてみると、そうした類の札はドイツの街のあちこち に貼られていたり、立っていたりすることに気づかされる。 子供が生まれていたずら盛りになると、われわれ夫婦はまず「賠償責任保険」にはいった。あちこちにあれだけ 「責任は負いません」とあると、よほどいろんなことで責任を追及されるのだろう、という気持ちにさせられるか らだ。きけば、ちいさな子を持つドイツ人の家庭はたいてい加入しているし、ドイツの育児書まで、加入を勧めて いる。外で高価なもの壊されたらたまらない、というわけだ。子供が道に飛び出し、よけようとした車がべつの車 にぶつかって・・・などというときにもカバーしてもらえるらしい。 そういえば、この保険に加入したとき、保険員が「これには、よそのお宅の鍵を預かってなくしたときの賠償責 任保険もついているんですよ」といった。よその鍵を紛失?「はあ・・・?」私と夫は顔を見合わせる。「共同玄関の 鍵をなくした場合など、大家は防犯のために全員に新しい玄関の鍵を作って渡さなきゃいけないんです。これが何 十世帯分ともなると高くつくんですよ」という説明。でも、うちでよその鍵を預かることなんてあるのだろうか? だが数年後、われわれは保険員の「予言」が正しかったことを知る。子供を通して近所づきあいが飛躍的に広がり、 いろんな人の鍵を預かるようになったのだ。五階のカップルの留守中、うちの子供たちにもなついている猫たちにエ サをやり、トイレの砂をかえにいく。長女の幼なじみの男の子がいる、三階の家族がバカンスにいっている間、ベラ ンダの植木に水をやり、郵便受けを定期的に空にする。「乗る人がいない」と、ソリをゆずってくれた四階の共働き 夫婦には、昼間にくる掃除婦のために鍵をあけてやってほしいと頼まれる。あとは、この預かった鍵を失くせば、保 険屋さんの「予言」が満たされることになるわけだが・・・。 ところで、また冬の話に戻るが、ドイツへきたばかりのころ、雪が降ると、まだ夜も明けきらない暗いうちからド イツ人たちがせっせと雪かきをし、凍った歩道に砂や砂利を撒いているのをみて、ひどく驚いたものだ。氷点下のな か、着ぶくれた人々が白い息を吐きながら黙々と働く光景は、「ドイツ人て、なんて勤勉で、まじめなんだろう!」 と感動的でさえあった。でも、世間知らずとはまさにこのこと。ドイツに暮らせば誰でも知っている冬の常識を、私 は知らなかっただけなのだ。 「あなたの家の前で通行人が足を滑らせ転倒して怪我をしたら、あなたが損害賠償の責任を負わなければなりません」 © Sakae Kimoto