ベルリンを訪れた人を車に乗せて観光案内するとき、たいてい発せられるのが「ここ、西? 東?」という素朴な質問だ。
「ここは、えーっと…東」と答えると、「ええ!? いつの間に東に入っちゃったの?」とすごく驚かれ、そのあとはいく
らなにをいっても、「それって西?」「東のテレビ塔?」「西のオペラハウス?」「東のレストラン?」「西のデパート?」
という具合になってしまう。かつては東西ベルリンに分かれていた街だったのが、その境目をいまやなんの通過儀式もなく
越えてしまうことが、彼らの妙な期待を裏切ってしまうのだろうか。機関銃をもった兵士にパスポートの提示を求められた
り、所持品のチェックをされたりしたいのだろうか。あるいは東に入ったとたん、街並や人々の身なりががらりと変わり、
「わあ、さすがになにもかもちがう!」というような異次元空間の出現を期待するのかもしれない。
たしかに40年余も別々の道を歩んでしまっただけに、壁崩壊直後は東西ベルリンの街並みの違いははっきりとわかるほ
どだった。だが、ドイツ統一がかなってから16年。東ベルリン側の再建工事やインフラストラクチャーの統一・整備化が
どんどん進み、歴然とした違いはいまやずいぶんと薄れた。だがそれは同時に、なにもかもが西ドイツの基準になってしま
い、その移り変わりのなかで東ドイツ市民の日常生活に慣れ親しんでいた数多くのものが消滅してしまった、ということで
もある。ところが、そういう西ドイツ化の波から市民運動によって救い出された稀有なものがある。それは、横断歩道用の
信号表示マーク、「アンペルマン」(=信号マン)だ。
東ドイツで考案され、1960年代から東ドイツ全土に導入されていたアンペルマンはなかなかチャーミングなデザイン
だ。西側の標準的な信号マークがスポーツマン系だとすると、こっちはダンディ系。ちゃんとつばのついた帽子までかぶっ
ている。アンペルマンは、みていてほほえましいだけでなく、背は小さいけど骨太の体型(ずんぐりむっくり、というべき
か?)、おまけに頭でっかちなので光る面積も広くてよく目立つ。当然、交通信号としての効果も大きい。東ドイツ時代も
人気あったというだけでなく、そのチャーミングさは西でも受け、アンペルマンはあっというまに人々の心をつかんでしま
った。
さて、東の信号機は時代遅れという理由で、西ドイツの信号機へのきりかえを信号表示マークもろともすすめていた行政
だったが、中の機械はともかく、アンペルマンはそのまま残してほしいという市民の要望や署名運動が大規模な広がりを見
せ、マスコミでも「アンペルマン問題」として大きく取り上げられるようになってからは見直しを迫られた。かくしてアン
ペルマンの存続がめでたく決定し、東ベルリンの横断歩道はアンペルマンが以前どおり「ワタレ/トマレ」の指示を出して
いるのである。
というわけで、「ここ、西? 東?」の問いには、「信号がアンペルマンなら東」と答えればたいていまちがいはなかっ
た。ところが、最近は旧西ベルリン地区でもアンペルマンを頻繁に目にするようになった。あまりの人気ぶりに、行政側は
今度は西の信号をアンペルマンに切り替える動きにでているらしい。存続をかけて戦ったアンペルマンの、まさに予想外の
逆転劇である。そればかりではない。このアンペルマンはなかなかな商売上手で関連グッズもたくさんつくられ、ベルリン
土産としても高い人気を集めている。
統一の荒波から救われてうまく資本主義の波にのった、したたかなアンペルマン。ベルリン中の横断歩道をアンペルマン
が制覇する日がくるのだろうか? © Sakae Kimoto |