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Lilli Thal Interview

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「人を人たらしめるものは何か?」

【リリ・タール インタビュー記事 1000 und 1 Buch 誌 2003年11月号より】 Special Thanks to © Mr. Franz Lettner


 「ピレマイヤー警部(“Kommissar Pillermeier”)」のシリーズで注目を集めたドイツの作家、リリ・タール氏による中世
を扱った長編 “MIMUS”(邦訳題「ミムス ―― 宮廷道化師」)が刊行された。
 一国の王であるフィリップ王が、長年にわたって敵対関係にあった隣国のテオド王の罠に陥れられ、家臣らともども地下牢に
幽閉されてしまう。そして、フィリップ王の息子であり皇太子であるフロリーン王子は、テオド王の宮廷道化師、ミムスの弟子
にさせられてしまうという物語。本誌のフランツ・レトナーが王や道化、そして歴史小説について作者に話をうかがった。
(Qはフランツ・レトナー氏、LTはリリ・タール氏)

               *               *               *
     
Q:「ピレマイヤー警部」のようなドタバタ系の推理物と、このような歴史小説とではずいぶんと趣が違うと思うのですが、まったく
異なる分野で物語を書こうとおもったきっかけはなんだったのですか?

LT:まず第一に、冒険物語を書いてみたいという思いがあったこと。第二には、ちょうどその少し前までメロヴィング朝やカロリング
朝の王について色々文献を読んでいたということ。その時代の王たちといえば、敵国の王(それは、王自身の兄弟であることが多かっ
たのですが)を打ち殺したり、投獄することをごく当たり前に行っているような時代です。第三には、あるとき、十七世紀か十八世紀
に、ロシアだったかドイツだったかの宮廷で、高い地位についていた廷臣が王の怒りを買い、一夜にして宮廷道化師にされてしまった
という、実際にあったエピソードをラジオで耳にしたことです。その人物についてそれ以上のことはわからなかったのですが、彼はい
ったい翌日からどうなったことでしょう? それまでその人物を恐れてふるえあがっていた宮廷の人々は、彼を嘲笑し、罵倒したので
しょうか? 宮廷道化師としての彼は、どんなジョークをいったり、芸を披露したりしたのでしょう?
 そういった好奇心がこの作品を書くきっかけとなりました。ですが、このような叙事的な物語をつくりあげていくことが、どれほど
の労力を要するか、すぐに思い知らされました。


Q:取材や調べものにそうとうな時間がかかったことと思いますが…?

LT:ええ。たとえば、フランスとイギリスの宮廷における中世の道化の生活について、文献をずいぶん読みあさりました。もちろん、シ
ェイクスピアの作品にでてくる道化などについても(「リア王」や「お気に召すまま」などに登場する道化たち)。当時の社会における
いわゆるアウトサイダーや、精神障害者の日常。城の造りやそこでの暮らしにおける快適さや不便さ、厨房や食事の習慣、武装のありか
たや敵の城を包囲攻撃する戦術。家族との休暇がてら、フランスの古城を十か所以上も訪ね、実際にこの目で見て様々なことを確かめま
した。テオドの城は、そこから得たイメージを膨らませていったものです。


Q:実際に中世の社会的秩序をふまえ、中世の人々の考え方や感じ方を想像したり、当時の「時代の精神」をくみとるのは、難しいことな
のではありませんか?

LT:それは、あまりにも時代的な隔たりがあるために、そもそも無理な話です。(当時は)神、そして天使の大群を頂点とし、そこから垂
直に細々と区分されているヒエラルキーの世界が、恐ろしい地獄の底までつながっているという社会秩序において、だれもが生まれながら
にして行く末を定められていました。鍛冶屋の息子に生まれれば、その子は鍛冶屋になるしかなく、下女の娘に生まれれば、やがては下女
になるしかない。それ以外の選択肢など、あり得ません。しかし、それと同時に信仰心、神業・奇跡を信じる姿勢、頑固な迷信などすべて
がいっしょくたになった「思い込み」が、人々を支配していた時代でもあったのです…
 例えば、中世では道化(愚者)や精神障害者の頭には、「愚者の石("Narrenstein”)」なるものがあると信じられていたため、その石
を取り除くためにその気の毒な人の頭をこじ開けようとすることもあったほどです。そうした頑なな思いこみや迷信を ―― もちろんあ
る程度べつなかたちにしてではありますが ―― 物語の随所に盛り込みました。たとえばフロリーンは、道化の衣装を着たミムスを見て、
それが獣なのか、あるいは魔物なのかわからなくなり、自分も道化帽をかぶったら同様に別な生き物になり変わってしまうのではないかと
怯えます。あるいは、フロリーンがテオドの城で最初の脱走を試みたとき、神がフロリーンを透明にしてくれている、と真剣に信じたりす
る。
 物語を書き進めながら、実際にはとるに足らないような事柄でも、取材するうちにたまたま行き当たった、当時の生活の記録や逸話は、
私を楽しませてくれました。そうしたネタからイメージが広がっていくこともよくありました。そのような小さな逸話は枚挙にいとまがな
いほどです。クルーニー修道院というところでは、夜の祈りの時間になると、修道士たちが祈りながら教会のイスで眠りこけてしまわない
ように、見回りをして起こす人がわざわざ雇われていたこととか。あるいは、ブルゴーニュの某伯爵夫人の帳簿には、首用の枷を錠前師に
二つつくらせている事実が記入されているのですが、「ひとつは伯爵夫人のサルのために、もうひとつは道化のベロンのために」とあった
りする。こういう記録を目にすると、公式文書や条例、あるいは年代史からは読み取れない風景が浮かび上がってくるのです。まさに、当
時の生活そのものです。
   そうしたかつてのエピソードが色々なかたちで「ミムス」に生かされました。難攻不落といわれた城が、便所の落とし樋という弱点を突
かれ、降伏に至ったこと(リチャード一世こと、獅子心王が実行)。城の屋上にある魚用の生け簀や、地下牢にも整備されていた便所(19
世紀の古城学者たちがこの発見に驚嘆した)。フランスのカール六世がもっていた、クマ、オオカミやサルなどの見世物用の動物。精神障
害者たちを互いに闘わせた「道化(愚者)の武芸大会」など。ただし、こうした史実とはまったく関係ない、私自身の想像から生まれたも
のも多く物語に織り交ぜてあります。


Q:道化が口にする詩やなぞなぞ、中世の「古典的」な言い回しなど、当時の文献から引用しているのですか、それとも創作なさったのでし
ょうか?

LT:セリフ、言葉遊びや韻を踏んだ言い回しなど、すべてわたしが勝手につくったものです。もちろん、当時の吟遊詩人による詩歌、ミンネ
ザング*
(*訳注:Minnesang、中世の宮廷騎士たちが貴婦人のためにささげた恋愛叙情詩)、謝肉祭劇などずいぶん読みましたが、その響きも
内容も作品に直接取り入れられるものではありませんでした。ジョークにしろ、つかわれている言葉にしろ、今日の読者には(少なくともわ
たしにとっては)ほとんど理解できませんし、それを無理に作品に入れようとするとどうしても浮いてしまう。なので、できるだけ比喩的な、
描写的な文体で書くことを心がけ、モダンで現代的な言い回しを避け、慣用句を用いる場合には、それがいつ頃からつかわれるようになった
のか、調べたうえでつかったりしました。調べているうちに、驚きの発見があったことも少なくありません。たとえば、「ins Gras beissen
(草にかみつく)**」といういいまわしがすでにホメロスの時代につかわれていたとは! 

(**訳注:人は首を切られると、その転がり落ちた頭が反射的に「噛む」という現象がみられる。昔の戦場で「地面に生えた草に噛みついて
いる頭が多く見られたため、「草にかみつく」は「死ぬ」と同義語になった。)

Q:その点ではやはり時代考証を行ってるのですね。

LT:かといって、人物などについてはいちいちそれが史実と一致するのか、正確性を追求したわけではありません(少なくとも、意識的に心
がけたわけではない)。それに、そこまでやろうとしても、なにが正しいのか判断できないことも多いのです。カール大帝の外見ひとつとっ
ても当時の文献を読むと、髪は黒味がかっており、がっちりとした体格ではあったが背は小さめ、とするものから、細身の体で、金髪、それ
に宮廷のだれよりも背が頭ひとつ分大きかった、というものまであるのです。それらの描写はいずれも、カロリング朝宮廷の年代記を書く立
場にあった、実際にカール大帝を見ているはずの人々が書き残したものなのです。別な例を挙げましょう:中世に関する一級史料として名高
い文書集 Monumenta Germaniae Historica(モニュメンタ・ゲルマニアエ・ヒストリカ、略してMGH。「ゲルマン史料集成」)でさえ、
それまで「本物」と信じられていた史料が実は偽造文書であったことが次々とわかり、MGMの編集人たちはそれについて報告、検証する作業が
追いつかないほどです。しかし、十九世紀から続けられてきた中世史研究、およびつくられてきた中世のイメージは、これらの史料に基づいて
いるのです。このありさまで、我々はどこまで事実をつかんでいるといえるのでしょう?
 自分に課したのは、「どのようであったか?」を追求することではなく、「決してこれはあり得なかった」ことをできるだけ排除しつつ、でも
「ひょっとしたらこうだったかもしれない」という程度の正確性で時代を反映させることでした。これならば、「時代の精神」を想像することは
難しいどころか、楽しい作業でした。思いきり想像の翼を広げ、時空の旅をするのは大きな魅力です。何百年もの隔たりを越え、異質で謎に満ち
た別世界に浸るのですから。だからといって、あまりにも野暮なまちがいがあったり、時代にあわないものが登場したりするようであってはなり
ません。騎士がジャガイモを食べている場面(ほかの児童書に出てきたのですが)などは出てこないような注意が必要だということです。

ジャジャジャジャーン! 何度見ても、この美しさにはため息…
  © Itsuko Azuma       「ミムス ―― 宮廷道化師」表紙    【全体画の掲載を許可してくださった 東 逸子 さんに心から感謝!】

Q:道化がこの物語の中心人物ですが、道化に魅かれる点は?

LT:わたしにとって一番魅力だったのは、あらゆる場面において非人間的な役割を演じることを強いられる道化という存在のなかに、人間味にあ
ふれる部分を見出すことだったように思います。滑稽さももちろんありますが、むしろそれとは対照的な側面  ―― 絶望に打ちひしがれた少
年を相手に、表向きには押し隠そうとする同情心 ―― などがそうです。だから、ミムスは少年が眠っている間に、ついそっとなでてしまう…
 しかしながら、ミムスは本物の道化とはいえないでしょう。本物の道化というのは ―― ピレマイヤー警部がそうだといえるんですが ――
自身を省みる能力がなく、物事や危険にでくわしてもまったくなす術もなく、その運命に流されてしまうような人です(現実にも、そのような道
化に出くわすことが多くありませんか?)。しかしミムスの場合、生き延びるために、その役割に自分を合わせていったに過ぎないのですから。


Q:しかし、それでも彼は一流の、完ぺきな道化であるように思えるのですが…?

LT:ひょっとしたら、演じているうちにミムス自身もその役割に面白みを感じるようになったのかもしれませんね。人は、なにかを完璧にやり遂
げると、とてつもない満足感を得るものです。それがガラス細工をつくることであろうと、オペラの歌曲を歌うことであろうと、あるいは道化を
演じることであろうと。そして、ミムスの宮廷における立場は、宮廷の人々とはかけ離れた、王のみとの直接的な関係しかないため、その「道化
の自由」によって彼は絶大な力を得ると同時に、人々から恐れられる存在になるのです。


Q:冒険物語といえば ―― それは児童書・ヤングアダルトに限らず ―― 往々にして登場人物を白と黒に色分けし、こちらに善がいて、あち
らに悪がいる、という構図になりがちです。しかし「ミムス」にでてくる人物たちは、そのどちらともいえない、矛盾に満ちた描き方をしています
ね?

LT:はい。たしかに、まだ年齢の幼い子供には、なにが正しくてなにがまちがっているか、あるいはなにが正義でなにが悪か、明確にした方がいい
のでしょうが、ある程度の年齢に達すれば、どんなことでも立場によって異なる見方があることをもう知っているはずです。どれほど輝かしく富に
満ちた世界に見えても、実際には容赦ない殺戮や犠牲の上に築かれたものであること。拷問吏だって、家庭に戻れば優しい父親かもしれない。ある
いはもっと身近な例を挙げますと、学校では生徒から敬遠されている先生だって、放課後話してみたら、案外いい人かもしれない。それと同様に、
まったく逆のパターンもありうるわけです。まったく純粋で誠実そのもののような人でも、権力や恐怖、欲望によって堕落することはあり得るわけ
です。これは王様と道化にも当てはまります。人と獣、有力と無力、分別と衝動 ―― 同じ一つのものにも裏と表があり、それは互いを映し出し
た鏡でもあります。


Q:現在取り組んでいらっしゃる仕事についておきかせ下さい。ピレマイヤー警部でしょうか、それとも「ミムス」の続編を期待できますか?

LT:いまのところ、続編は考えていません。しかし、「ミムス」を書きながらずっと頭にあった問いには、いまだに答えが見つかっていません。
「人を、人たらしめるものは何か? 人が獣とちがう点はなにか? あるいは、神とちがう点はなにか?」という問題です。ですから、次の作品
はギリシャ神話と関係するもの  ―― そういう意味では、ふたたび歴史冒険物語になりそうです。


                                                       訳 © S. Kimoto


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